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財団活動に哲学を求めて
慶明さんはビル管理会社の社長職と財団での市民活動の手伝いという“二足のわらじ”を生きる。変わりものという風評もないわけではない。が、慶明さんは平気だ。
「たとえば、殺人を犯したとする。法律的には有無をいわさず罰せられる。しかし、人間の内面に入り込んでみると、そう単純ではない。弱肉強食の論理がまかり通るいまの世の中で、弱者ゆえに犯してしまう犯罪もあるでしょう? そこには法律だけで割り切ることができないものがある。でも、多くの人々はそこまで考えはしない。そういう世の中で、絶えず弱い者の味方であったり公害に反対して地道に動いている人に出会うと、立派だなと、私は思っちゃうんです」
この考え方が、慶明さんと市民運動を結びつけた。
10年来のつきあいがある市民エネ研の松岡さんがいう。
「あの人は、その時代の主流じゃないものに、よく目が届く人なんです」
学生時代は哲学青年だった。
経済学部に籍をおいた成蹊大学でも、熱を入れたのはサークルの哲学研究会だった。
「哲学を続けて学者になりたいといってはよく父とケンカもしました」
周辺の話では、卒業後も他の仕事を求めて回り道をし、何年かしてやっと父の倉庫業の会社に戻ったようだ。しかし、それも「弟のほうがむいている」と譲り、ビル管理会社だけを継いだいきさつがある。
「まあ、会社のほうはデタラメをやらない程度に……」らしい。
「だって、子どもにどんな仕事なのかと聞かれたときに、財団のあれこれを話したほうがわかってもらえる。会社の仕事はハンコを押してるだけだもの。それに、こっちはどこでも“社長”の名がついて回って、つきあいにも垣根ができてしまう。そこへいくと、財団のほうのつきあいには自由さがある」
中学三年のとき、大学一年のとき、二度も結核で療養生活を送った。その中で「かなり厭世的になって」哲学に魅せられたのだという。
いまも、話が哲学に及ぶと目を輝かす。デカルトの懐疑的方法からラッセルの論理実証主義へ ー 日ごろ科目な人が滑らかに語り出す。
「私は哲学を生活上の必需品とみるラッセルの考えに一番共感しますね」
慶明さんにとって、財団活動は自己の哲学の実現なのである。財団の援助活動とは、本来、こういうものなのかもしれない。
「欧米では常識になっているけれど、日本でもやっと市民運動団体が企業や財団から資金的援助を受けて、自由に活動を展開していく関係が出てきた。私たちと大竹財団の関係は、そのテストケースだと思う」
と松岡さん。
今後の発展に期待したいネットワーキングである。
(原田信二)
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